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思想としての出雲

先日、オンラインで島根の歴史文化講座「日本書紀・神話と出雲」
講師:原武志さんの講座を視聴しました。

この本を参考に近代史からみた、出雲の姿が紹介されました。

大変面白い内容でしたのでここで紹介したいと思います。

・出雲は古代史の舞台だけではなかった。

出雲は神話の国として日本の古代史を語る上では欠かせない場所。

実際に神話の舞台と設定されている場所があったり、何と言っても出雲大社。

神話の中では、国譲りでニニギ勢力(天孫系)の神に現世の権力を譲る代わりに大きな社を建てさせた。

それが出雲大社だと言われています。

10月には全国の神様が留守になる(神無月)のは、ここ出雲に集まるからだと言われています。

そういうことから、古代史においては抜群の存在感を誇る出雲なのです。

しかし、近代史上はあまり、話題に上がることは少ない。

幕末から明治と政治の舞台は京都、東京を中心に動き、その間の出雲についてはあまり語られることはありません。

そんな中、注目すべきは第80代出雲大社国造千家尊福
明治初期から出雲大社の国造を歴任していて、政治家としての顔もあります。
この人物のことはあまり語られません。

出雲に住んでいると、この千家家というのは有名でもう一つ北島家という別の系列があって、結婚式などもどちらでやるか、話題に上がったりします。

でも、政治家としての千家家というのはあまり聞かない。教科書にも出てこない。

しかし、第80代出雲大社国造千家尊福という存在は現在の日本の宗教の在り方を考える上でも重要な人物だったようです。

それが、表に出てこないということは、何か意味があるのでは、抹殺された何かがあるのでは・・・?
そんな詮索も働きます。

・伊勢 対 出雲 アマテラス 対 オオクニヌシという視点

伊勢神宮は現在の天皇の皇祖神アマテラスが祀られているということで、大変格が高い。

正式名称は『神宮』。
内宮と外宮があり、内宮に皇大神宮、外宮に豊受大神宮が祀られています。
そして三種の神器の一つ「八咫鏡」が内宮に祀られていると言われています。

伊勢神宮が台頭してきたのは明治初期から。
そこには政治的な流れも関係していて、結果的に伊勢派と出雲派の対立構造が生まれました。

問題の発端は
・「古事記」と「日本書記」の違い

江戸後期、国学者「本居宣長」が「古事記伝」を編纂します。
古事記こそ正当な歴史書であると古事記中心主義の歴史観を立ち上げます。
それまでは日本書紀が正史とされていました。

宣長曰く、日本書紀は中国の視点から書かれた日本の歴史。
本当のことは古事記に書いてあるのだと、それまでの記紀の評価を大きく変えたのです。

古事記は全体で一つの物語としてつながっていますが、日本書紀は本文以外に別の章や異伝がある。一貫性がないのだと。

そうして国学上、古事記中心の歴史観に変わっていく中、一つ日本書紀から重要な一書を抜き出します。

・日本書記一書にある国譲り。オオクニヌシがあっさりと隠退したわけではない。

国譲りで高天原からの勢力ニニギ(アマテラスの孫・天孫系)にその権力を譲ったが、その時にオオクニヌシは交換条件を出しています。

この世の実権「顕」を天孫系に譲る代わりに、あの世「幽」を治めるという条件。
こういう条件のもと、国譲りが行われたと日本書紀の一書に書かれています。

対して、古事記にはこういう「顕」「幽」という概念は無いのです。

つまり、ここからこの世はアマテラス(天皇)が治め、あの世はオオクニヌシが治めるという構図が出来てきたのです。

そして、その宗教観を引き継いだ平田篤胤

死後の世界、見えない世界が幽冥界であり、死後は誰でもそこへ逝くのだと。

そして、そこはオオクニヌシの主宰。つまり天皇も死ねばオオクニヌシの支配下に入る。

こうした出雲の神中心の復古神道を立ち上げたのです。

そして、さらにその門人、六人部昰香顕幽順考論を唱え、幽の中に天国と地獄のような概念を持ち出します。
天皇でも生前、欲を出したり、邪な野心を出したものは凶徒界(地獄のような世界)に落ちる。
その審判をオオクニヌシが行う。

死後の神として君臨する「オオクニヌシ」を前面に出して行きます。

それに対して、天皇側は天皇は神武から繋がる万世一継の繋がりに価値がある。
個々の天皇の資質をオオクニヌシに委ねるなんてことは出来ないと反発します。

これが伊勢 対 出雲の構図に繋がるのです。

・明治維新と祭神論争

そんな中、明治新政府は神道国教化政策で、あくまでアマテラス中心を唱えます。

津和野派の大国隆正を立て、神祇官という役所を設置。
そして、隆正の主張は大胆にも、幽を治めるのはアマテラスであると。
今までの流れをひっくり返してしまうのです。
しかし、そんな主張は通るわけなく、あっさり失敗に終わって行きます。
それは、江戸時代、本居宣長から繋がる国学を無視したような考えであり、また当時はアマテラスはまだそんな有名な神様では無かったのです。

そして、次は
・神仏合同の国民教化運動、大教院設立。

政府は神仏合同の国民教化運動として、大教院を設立します。
その祭神は造化三神(古事記にある三神:アメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビ)とアマテラスということで成立させようとしましたが、これに意を唱えたのが千家尊福

オオクニヌシを祭神として合祀しなければ、宗教として成り立たない、そう訴えます。

幽冥界を治めるのはオオクニヌシという宗教観がなければ、国学復古神道として成り立ただず、本居宣長から続く国学の宗教観が途絶えると考えたのです。

出雲の神を中心に置かないと成り立たない。

一方、伊勢はそれは許せない。

でも、それを理論で対抗できない。

そして追い込まれた伊勢派は

不敬だ、国体に反する、というようなレッテルを貼るしか無かったようです。

この論争は大きかったようで、当時13万人が加わるほどの勢力抗争。(不思議と教科書には載っていない・・・)

そして、最終的には明治天皇が勅裁で顕幽論を棄却します。
神道は宗教では無いと結論付けたのです。

つまり、出雲の敗退です。

そこから国家神道の成立。

出雲派の宗教は国家容認の一宗教と認める、という所に落ち着きました。

これを機にそれまで出雲大社が持っていた宗教性にとって変わったのが、

靖国神社


それまでとは違った宗教性を持ち始めます。出雲は古代からの神の系譜がありましたが、靖国神社は主に戦や戦争の慰霊者を祭る神社。同じ神社でも、全然意味合いが違うのです。

それは大きな宗教観の変化でした。

・出雲派を継ぐ思想・出口王仁三郎

その出雲派の思想、継いだのは、出口王仁三郎。彼は丹波出身。
出口なおという教祖に婿入りして大本教設立。神道界では有名な人物。大本教教祖でその門人たちが現在の新興宗教の礎を気付いたと言われています。


出口王仁三郎はオオクニヌシというより、スサノオを前面に出しました。

オオクニヌシはスサノオ系。三貴神と言われる、アマテラス・スサノオ・ツクヨミの三系統の神の一つ。
元を辿ると、オオクニヌシの祖はスサノオです。

出口はスサノオを前面に出し「霊界物語」という書物を執筆。
これは当時にすれば、大変不敬と言われる内容も含んでいたようです。
当時は恐らく、アマテラス一神でまとめあげたかったのでしょう。

その結果、二度に渡る弾圧を受けます。

しかし、出雲の神から始まる神道の姿を訴え続けました。

この精神は実は全国に各地にしっかり伝わっています。


例えば、武蔵国の氷川神社も祭神はスサノオ。
埼玉の大宮はこの氷川神社のことだそうです。つまりスサノオの國。出雲系。

関西にもスサノオを祭る八坂神社という大きな神社があります。

出雲ということを考えた時、島根県の出雲地方ということだけではなく、全国に散らばる出雲の神という存在をもう一度見渡して見てもいいのではないでしょうか。

というような内容が「日本書紀・神話と出雲」講師:原武志さんの講座では話されました。

民泊すさのわはスサノオの御霊を祭る出雲市須佐神社の直ぐ側です。

個人的には2013年に式年遷宮を史上初、伊勢神宮と出雲大社で同じ年にしたという所あたりから、この両者の和解?が進んでいるのでは無いかと思っています。

伊勢と出雲、伏せられていた出雲の神の存在は近年益々力を増していて、いよいよ統合の時代です。

出雲の神は治める神ではなく、生み出す神。見えない力。

審判をしたり、善悪を決めたりする神では無いと思っています。

もうすぐ、旧暦の10月。出雲では神在月です。

これから、心清らかにもう一度スサノオの風に吹かれたいと思います。

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